自己愛性パーソナリティー傾向を助長する教義の歪み

基本教義(善川&富山作成)に対する大まかな批判を書いてみましたが
少し専門的で難しかったかもしれません。簡単にまとめると・・・

次元構造論や霊的世界観だとコーフクが言っている教義の大半は
コーフクの専売特許でもなんでもなく、心霊思想の二番煎じでしかない

・ 世間のスピリチュアリズム(心霊思想)のルーツを辿っていくと
 約2000年前の新プラトン主義という西洋哲学にその源流がある。
 大川は西洋思想史には特に疎いので、その思想的関連を理解できていない。

・ 仏教の取り込みについても、
 仏教思想の入門書にある基本用語を漁ってきて盛り込んだ観が否めない。
 上座部仏教、大乗仏教の「核心」を正しく理解しているとは言えない
 かなり我流に曲解している。インド大乗仏教(中観派・唯識派)の最も深遠な教理には手が届いていない。

⇒ コーフクが仏教理論書として掲げている「悟りの挑戦」「沈黙の仏陀」等の内容は、仏教史の入門書にある基本用語や概念を拾ってきて簡単に紹介したような浅いレベルでしかない。しかも、コーフクの心霊思想の色メガネを通して勝手に曲解している内容が少なくない。つまり、思想的な深みにも正しさにも欠けている。

キリスト教や聖書的世界観の取り込みについては、仏教以上にお粗末さが目立つ。
 善川が学んだのが「我流の聖書解釈」を繰り広げるサークルに過ぎなかったから。
 大川自身のその後の付足も、リベラル神学と聖書批評学の下手な二番煎じである。

「四正道」(愛・知・反省・発展)良さそうな「徳目」(看板)を4つ並べているだけで、1つ1つの内容はたいした中身が無い。思想的深さの伴わない雑多な寄せ集め教説

・ コーフク教義の特徴は、良さそうに思った他宗教の概念を節操なくパクってくるのだが、それらの概念の関係や整合性にまで注意を払っているわけではなく、全体としてみると、教理としての論理的整合性や統一性が極めて乏しい

というふうに、大まかに総括することができる、ということです。



コーフクの洗脳信者たちは、

大川隆法とコーフクを否定したならば
(そうした教説が、コーフクだけが説いている専売特許なので)

「霊的人生観」や「霊的世界観」をも同時に否定することになる、
と思い込んでいる人が少なくありません。


⇒ つまり、大川センセが嘘つきの偽者だとするならば
  私が信奉している「霊的世界観」も間違いだということになってしまう
  そんなはずはない!という思考回路です。

この思い込みが「縛り」となっていて
彼らが教団から離脱することの妨げ要因となっているようです。

実際はそうではありません。
そもそもコーフクの「霊的世界観」なるものは、
他の新宗教とスピリチュアリズムから盗用してきた寄せ集め教説に過ぎません。

大川隆法とコーフク教団は、それを節操なくパクって、あたかも
自分たちの「専売特許」であるかのように吹聴している盗人に過ぎない。

 ⇒ 長女さやかの他人の論文パクリが話題になりましたが、
   親子揃って、いや親子孫三代揃って、大川一族(善川/大川/さやか)は
   「思想盗みとパクリ」を生業としている
のでしょう。

つまり、大川隆法とコーフク教団が「まともかどうか」という問題
「霊的人生観」が「正しいかどうか」という問題とは
まったく関係性のない別々の異なる問題です。

大川隆法とコーフク教団を「偽者」であると「否定」したからと言って、
スピや他宗教も説いている「霊的人生観」までが否定されるわけではない

この点を明確にさせることが大事だと思います。

「この世」は仮の宿りであって「霊的な世界」(=天国)こそが真の本籍地である
という世界観は、何もコーフクと大川隆法が発明した専売特許でも何でもなく

ギリシャ哲学やキリスト教によって何千年も伝えられてきている
西洋思想史において、最も普遍的な考え方・世界観
(=二世界論)なのです。


<コーフクの教義はどこが歪んでいるのか?>

ちなみに、大川が「自己愛性人格障害」であることはもはや周知の事実ですが
この教祖の人間性に合わせるようにして、教義にも歪み(害毒)が含まれています。

つまりは、自己愛的パーソナリティーの思考回路を拡大・助長するような
害毒が垂れ流されているということです。

それは霊的なエリート主義他者を見下げることによる自己の高揚感です。

コーフクの洗脳信者たちの多くは、現実社会における自己像がコンプレクスにまみれています。

要は、自己価値感が低く、劣等感に悩み社会・他者に溶け込めず、挫折感を抱えています。ダメな自己イメージの反面、自分が「特別な存在でありたい」という野心だけは強いのです。

そうした彼らにとって、コーフクの歪んだ教義は、
大川隆法にとっても「誇大自己イメージ」を膨らませる補強装置となっています。

私は「世間巷のくだらない人間たちとは霊格が違うんですよ!」
私は「実は〇〇という如来・菩薩の生まれ変わりで、特別な存在なんですよ!」

私は「つまらない大衆には理解できないような高尚な霊的知識を私は悟っている。
だから、私は世間の一般社会には溶け込めないし、馴染む必要性も無いのだ!
彼らのような低い波動や価値感に、高尚な霊的エリートの私は合わないからだ」

といった尊大な自己理解を、コーフクの洗脳信者たちは持っています。
それが、彼らの横柄な態度、傲慢な言動を生み出している元凶です。

彼らの歪んだ教義(=世界観のフィルター)は、自分たちが特別で価値高い人間であり
私をいつも疎外している世間一般の人間たちは、霊的な真理が分からないクズなのだ
という「見下げの論理」が潜んでいます。

つまりは、他者を「価値低いクズ」というレッテルを貼って、
徹底的に叩いて見下げる
。その反動によって、
自分はあいつらよりも「価値が高い立派な存在なのだ」と自己認識する。

自己愛性パーソナリティー傾向が強い洗脳信者たちにとっては、歪んだコーフク教義が、自分と他者の価値の高下(落差)を作り出す装置になっているのです。


<大川隆法が「ナショナリズム」に傾倒するのはなぜか?>

以上の「歪んだ思考回路」を民族問題に転用すると、

特定の他民族を「卑しい価値低いクズども」と徹底的に見下げて
自分が属する民族を「特別に優秀な民族」だという優越感に浸る構図ができあがる。

大川隆法だけでなく、ヒトラーや、金正恩、トランプに至るまで
自己愛性パーソナリティー傾向が濃厚な人が「ナショナリズム」に傾倒しやすいのは

自民族の価値=自分の価値、というリンクがあるからでしょう。
他民族よりも、自民族が価値的に高尚である、と思い込みたい人たちなのです。

例えば、ヒトラーの場合は、
ドイツ民族(ゲルマン人)こそが人類の最高の民族であり
ユダヤ民族を「卑しい忌むべき民族」としてターゲットにして徹底的に叩きました。

トランプの場合は、
アメリカ白人こそが偉大な価値ある民族であり
雑多な不法移民こそが卑しい排除すべき存在、となります。

他者を価値的に見下げて叩いて卑しめることによって、
自己価値感を相対的に高揚させる、という自己愛願望が背後にあります。

私は常々思うのですが、右翼にしろ、左翼にしろ
極端な政治信条や民族主義に傾いていく人たちには特有の心理的歪み
があるようです。

彼らはむしろ弱い、劣等感に満ちた人間なのかもしれません。

他者の存在を喜び、他者を祝福して、良い関係を分かち合うことができずに
他者の存在を恐れ、他者を排撃して、断絶を生み出すことによってしか
自分の価値感を高めることができないのですから。

本当に安定した人間は、
他者の価値と固有性を認めて、良い信頼関係を築いて
相互に心地よい安定した暖かい交わりを維持していく
ことができるはずです。

自己愛性パーソナリティーの人たちにはそれが難しい。
だからこそ、他者や社会とことある度にトラブルを巻き起こしていく。

コーフクの教義には、このような害毒と歪みが垂れ流されている。
だからこそ、信者たちの人間性改善にはおよそ役に立たないのです。

コーフクの教義は特にこの最たるものですが、
そもそもスピリチュアリズムなどの「神秘主義」には

「霊的エリート願望」が濃厚であり
世俗から浮き上がって、脳内妄想に耽る傾向が強い。
神秘思想には、健全な社会性、他者とのリアルな関わり、が欠落しています。

私が、コーフクの脱会者に、他のスピ系への転向をあまりお勧めしていないのは
スピ系心霊思想は、自己愛的傾向を助長する装置になりかねないからです。

コーフクの元信者の方で心配なのは、脱会した後に
他の新宗教やスピリチュアリズムをコーフクの代用品としている場合に
それが自己愛傾向を助長する装置になってしまっていないか?という点です。

あるいは、人によっては、宗教ではなく、
過激な政治活動にのめり込んでいく人もいるかもしれない。
それが自己愛的傾向を支える装置となるからでしょう。


<自己愛パーソナリティーの歪みを癒すために>

コーフク教義に垂れ流されていた歪みと害毒によって
形成された「自己愛パーソナリティー的な傾向性」を自覚して修正すること
それが、脱会者にとって一番大事なことなのではないでしょうか。

そのためには、幾つかのポイントがあります。

・ 「見下し」「高揚感」といった価値操作をしないで
  ありのままの欠けだらけの自分を「受け容れる」ことを助ける

  ⇒ すごいエリートな自分を演出しようとする「底上げ思考」をやめさせる

・ 自分が特別な価値がある、何かができる能力や功績があるということでなくて、
  欠けだらけの足りない自分が、そのままで愛されていることを経験すること

 ⇒ 自分の持っている何かではなく、自分の存在そのものが愛されている
   という無条件の愛を経験すること

他人との信頼関係が深まり、愛し愛される暖かい対人関係を築くこと

以上のような要素があるかどうか?が大切になってきます。

私が思うに、スピリチュアリズム系の神秘主義釈迦仏教(上座部)
脳内妄想型、個人修行型で、他人との生きた交わりが欠落している傾向が強いですから
どちらかと言うと、パーソナリティ傾向の改善には向かないのでは?と感じます。

スピ系神秘主義、上座部(小乗)仏教、はそもそも「孤独な宗教」なのです。
瞑想やらで個人的修行にタコツボ的に篭ってしまい
他人や社会とのつながりや交わりを養う意識に乏しいのです。

また、神道系でもナショナリズム色、自民族至上主義が強いものは
明らかに自己愛傾向を煽る装置になりかねません。

これは私自身の宗教観でもありますが、
必要なのは「愛と交わりの宗教」ではないか?と思います。

タコツボ的に篭って瞑想やら修行に励んだところで
結局は、本人だけの自己満足にしかなっていないものです。

人が本当に、自分の足りなさや弱さに客観的に気付かされて
その中で、愛し励まされて、人間的にも成長していくのは
人と人との生きた「交わり」「関わり」を通してではないでしょうか?

消去法で、神秘主義が消え、小乗仏教が消え、民族主義的な神道が消えていけば
おのずと、残るのは「穏健な伝統宗教」(組織宗教)なのではないかな、と感じます。
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remonstrateHS

Author:remonstrateHS
教団ぐるみで隠蔽されている「大川隆法の実態」「教団内部の実態」「教義や霊言のウソ」を知り、数年前に「脱会」した元信者です。

「教団の被害」に逢われている方、脱会を検討している現信者さんの「脱会の手助け」になれればと思っています。

支部精舎での活動実態、総合本部・政党の実態など、私が(婦人部)活動中に知りえた「内部の事実」をお伝えします。

教団が発表するお決まりの「ウソ情報」「大本営発表」に騙され踊らされないように、正しい情報を見極める力を持って頂ければと思います。

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